特定非営利活動法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」


2015.10.24

福島──放射能汚染の現状と生業を取り戻すための闘い
10.15〜16 いわき市、飯舘村を巡るふくしまツアー報告

 秋晴れの10月15日~16日、ふくしまツアーを実施しました(参加者は27人)。
今回は、来年3月に帰還宣言をしている飯舘村を中心に、復興と言われているなかで、現実と直視しながら福島で生業を再生しようと努力している市民たち、そして帰還が進む福島の現状などを知る機会としました。

<一日目>東京~いわき市民放射能測定室「たらちね」・~小名浜魚市場会議室~相馬市
<二日目>相馬市~飯舘村(長谷川健一さん、ふくしま再生の会)~東京

ストロンチウムも測定。診療センターの開設をめざす──いわき市民放射能測定室たらちね

 東京からいわき市に入り、まず、訪問したのはいわき市で市民の力と資金を結集して放射能を測定しているいわき市民放射能測定室「たらちね」(以下たらちね)です。対応してくださったのは事務局長の鈴木薫さん。決して広いとは言えない事務所には、土曜日の休みにもかかわらず被ばくの不安を抱えた除染作業員の方々が訪れていました。帰還を進めるために家屋を解体しているなかで、あまりの放射線量の高さに不安を抱いての来所でした。除染や原発労働にかかわる人たちの被ばくリスクと共に、その人たちがいてこそ、原発事故の後始末が可能になることを痛感しました。

 鈴木さんからは団体の活動の説明がありました。
 たらちねは、2011年3月の原発事故をきっかけに、その年の11月にいわき市の市民が中心となって立ち上げたNPO法人です。最初の2年間は食品の放射線検査やホールボディカウンターによる内部被ばく検査をし、その後、市民の要望に応えて診療所開設の認可を受けて超音波(エコー)検査器を購入、13年3月から甲状腺検査を開始しました。またβ線核種であるストロンチウム90やトリチウムなど、測定方法が難しいために市民団体による測定が普及していない分野にも取り組んでいます。食品だけでなく、土壌や水、海水調査へも手を広げ、汚染の実態を記録し、市民や子どもたちを育む環境を守ることに役立てています。今後は診療センターの建設を目指しています。

 2015年度は福島全域だけでなく、宮城県や茨城県、栃木県まで出張して約8000人を検査しました。多くの子どもに接している鈴木さんは、この5年間の変化について、次のように言います。「薬を常用する子が増え、なかには精神安定剤を服用している子どももいる。体力も弱くなり、風邪を引きやすい子ども、背が伸びない子どもたちも目立っている」
 今後、診療センターが稼働すれば、子どもの健康だけでなく放射能や子どもの生育に不安を抱いた両親などの相談場所としての役割も担うことになるでしょう。「子どもの未来と健康を守ること」を理念として、意志ある市民たちが始めたたらちねの活動は、今は、世界でも数少ない、市民が活動の主体を担う放射能検査の拠点となっています。
 鈴木さんは最後に「原発問題は政治家や企業の責任もあるが、私たち一人ひとりの責任でもある」と力強く語りました。その言葉の重みを一人ひとりかみしめた日となりました。

福島の海を復活させる。試験操業で獲れた魚種をすべて放射線測定──福島漁業協同組合連合会

 小名浜港に面する漁市場や事務所などの施設は、全て津波で流されましたが、最近、新築の施設が建設されました。真新しい事務所で福島漁業協働組合連合会代表理事会長の野﨑哲さんからお話を伺いました。
 放射能汚染された福島の漁業は、今も苦難を強いられています。本格操業のメドはたっておらず、現在は一部の魚種についての試験操業だけが認められています。現在市場に流通している福島県産と表示されている水産物は、県の環境モニタリング検査で安全が確認されている試験操業対象魚種、あるいは福島県から遠く離れた海域で漁獲され、福島県に水揚げされた後、放射性物質の検査を受けた魚です。
 小名浜魚市場でも、独自に放射能を測定する機械を導入し、検査員を育成して水揚げされる全ての魚を検査しています。現在123種の魚を検査し、その中で基準値の100ベクレル以上は16種だったとのこと。
 たとえ漁業が復活しても、心配なのは市場で使う木製ケース生産者や製氷会社、そして仲買人や小売店がこの5年間で疲弊していること。つまり、漁獲が戻り、安全性を確保しても、その魚を消費者の元へ届ける流通業の回復が非常に遅れているとうことでした。私たちも消費者として生産者と消費者の間にあるさまざまな仕組みにあらためて気づくと同時に、生産者だけの再生支援では生業が完全に復帰したとは言えないことを理解しました。生産業と流通業の両輪の支援が不可欠です。
 小名浜魚市場の放射能検査室には大きな機材が揃い、検査方法がパネル展示されていました。また、魚市場の構造自体も、魚の種類によって荷捌き場が違い、雑菌が入らないように工夫されていることなど、安全性に配慮した施設づくりに努力する様子を確認しました。
 厳しい福島の漁業ですが、東日本大震災の被災地同士で漁業権を共助利用するという新たな動きも始まっているそうです。今後動きを注目していきたいと思います。

来春帰還が始まる飯舘村。230万個のフレコンバッグをどうする──長谷川健一さん

 福島県飯舘村で生まれ、酪農家として牛を飼い、暮らしてきた長谷川健一さん。福島第一原発事故による放射能汚染を知ると、区長を務める飯舘村前田地区の住民集会を即座に開いて現状を説明し、被ばくを避けるための対処法を住民に知らせてきました。近隣の伊達市で避難生活を続けながら、村に通っては映像を記録し、飯館村で起きていることを国内外に知らせる活動を続けています。
 長谷川さんは3.11から現在までの道のりについて写真を見せながら私たちに、酪農家として牛を処分しなければならなかった辛さ、国や東電、行政への怒りなどを語りました。その内容は、やはり当事者でなければ語れない苦悩がにじみ出ていました。あらためて知ったのですが、3.11後、福島県内で5ミリシーベルト以上の初期被ばくを受けた住民の8割が飯舘村民です。事故直後の避難が遅れたため、不要な被ばくを受けたことがわかります。2014年11月、長谷川さんが中心となって村民の約半数にあたる2837人が、放射性物質で村の生活基盤が壊されたとして、賠償の増額を求め、原子力損害賠償紛争解決センターに裁判外紛争解決手続き(ADR)を申し立てました。
 私たちが訪問したのは、ちょうど飯舘村村長選挙の投票日。結果は現職で帰還推進派の菅野典雄氏の再選となりましたが、小中学校の再開、交流館などのハコモノ建設を含むその帰還方針について、長谷川さんは明確に反対の立場を取っています。
「避難解除が来年の3月とされたのはやむを得ない。しかし、帰還後の村民の生活・健康面のケアについては十分に厚い政策が採られるべきで、東電にもその補償を求めるべきだ。国も『被ばく者手帳』のような制度を導入すべき。いざ帰還となっても、若者は戻らないし、戻るべきではない。お年寄りの中には戻りたい人もいるが、その生活はけっして安心・安全とは言いがたい」
 お話の後、長谷川さんの案内で村を廻りました。村の至る所に、フレコンバッグが野積みされています。その量はなんと230万個。一つの袋に約1トンの除染土がつまっています。230万個のフレコンバッグを全て、トラックで中間貯蔵施設に運び終えるには約10年かかると言われています。かつて「日本で最も美しい村」の一つとうたわれた村の風景は一変してしまったのです。
 全村避難が続く飯舘村では、2017年3月には帰還困難地区を除く避難指示解除が行われる見通しですが、たとえ帰還しても、住民は毎日目の前のフレコンバッグを見なければならないわけです。この光景が人々に与えるストレスは計り知れません。
 田畑の表土を剥がし、その上に山の土を覆って整地された田畑も多く見られました。しかし、土が命と言われている農業では、たとえ、帰還しても3年は土づくりをせねばならず、農業が再建されるまでにはさらに数年がかかることでしょう。原発事故が村の暮らしを破壊してしまった様子を眼前にして、ツアー参加者たちは脱原発の必要性をあらためて確認しました。

田畑の除染を独自に進め、飯舘の農業を取り戻す──ふくしま再生の会

 飯舘村の農家と全国のボランティアや専門家らが連帯して、原発事故による被害地域の生活と産業の再生を目指して、2011年6月から続いているのが「ふくしま再生の会」の活動です。福島原発事故は天災ではなく、人災であることを明確にしながら、世界の叡知を集めて被災地域を調査し、その結果を世界に公表することが会の目的の一つ。村の各地に放射線モリタリング機器を設置し、空気中や溜池の水や泥に含まれる放射性セシウム、生活パターンに応じた個人ごとのセシウム積算量などの測定を続けています。
 また「飯舘に農業を取り戻さないといけない」という信念で、農地を復活させる除染法の実証的開発を進め、2012年からは稲のほか大豆やソバ、さつまいも、ブルーベリーなどの試験栽培にも取り組んできました。品種や部位ごとに土壌から作物に移行する放射性セシウムの量を継続的に測定する実証研究も、大学研究機関と共同で進められています。
 再生の会代表の田尾陽一さんは、「同じ農地でも下部の土が粘度層か砂質かによってセシウムの透過度や農作物への移行度が違ってくる。粘度層の多い田んぼではセシウムがそこに吸着するため、稲への移行も少ないことがわかってきた」と語ります。2014年度・2015年度に試験栽培した米について全袋検査したところ、すべてが検出限界値を下回っているということです。事務所敷地内にあるビニールハウスでは、土壌に鹿児島の火山灰の軽石を使い、養液を点滴のように滴下する「点滴型養液栽培技術」の実験も行われていました。ビニールハウスで栽培されるピーマンの一品種「ピー太郎」はジューシーでとてもフレッシュでした。
 試験農園に伺った時は、ちょうど稲刈りの真っ最中。この田んぼでは日本酒用の酒米も試験栽培しています。田尾さんは「飯舘産の酒米を会津の酒蔵で酒にする」という将来の夢やオープンカフェづくりなど新しい農産物加工のアイデアを語ります。独自の放射能除去の手法により、飯舘村の田畑の放射線量は年々減少しているとのこと。それでも他の地域に比べ線量の高い飯舘村での農業の再開には、賛否両論がありますが、再生の会の試みは、帰還して農業を再開する人々にとって一つの指針となることでしょう。