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2012.11.10
神田香織レポート──「移動教室」を求める院内集会と仮設住宅からの声
復興予算を子どもたちの「移動教室」に!
10月19日(金)「復興予算を子どもたちの移動教室に!」の参議院院内集会に参加。
「移動教室」(註)を実行した伊達市から富野小学校宍戸校長、湯田教育長が発言。また福島県内からの保護者、中3の横田君、支援者として川崎からの報告と盛り沢山。「被災者支援法」に熱心な国会議員も。30分前には椅子席がなくなるほどの盛況ぶりだった。
まずは今年の7月に札幌へ移住した中手さん。今までの保養は民間が金銭的な負担をしてきて限界がある。「公」の支援が必要と挨拶。
次に移動教室のDVDを観る。移動教室とはいっても3泊4日で、チェルノブイリの事故後の「年に2回20日以上」にはほど遠いが、実現しただけでも効果は大きい。
宍戸校長(写真中央)は、「草の上に寝転んで転がっていいと言ったら生徒は目を輝かせ、本当にいいの~!と何度も確認し『やった~』と大喜びで転がっていった。保養先でも、子どもたちは道の真ん中を歩く。両側の草花を避ける習慣がついているから。受け入れ先はびっくりする。線量の高い中通り浜通りの子どもも、ぜひ保養をお願いしたい」と訴える。さらに、
「移動教室は教育的意義がある、感謝の気持ちを育み、大人になったら恩返ししたいと子どもたちは思っている。子どもは大切にされればされるほど優しく成長できる。結果として放射能からの保養もともなう」と教育的効果を強調していた。
心のこもった真摯な宍戸校長の熱弁に目頭が熱くなる。横田君もしっかりと「僕たちにはストレスがたまっている。子どもたちが保養などで放射能から逃げる時間は平等ではないです。情報格差を埋めるには行政の協力が必要なのです」──この中3の言葉をしっかりと拡散して行きたいし、野田首相らにも聞かせたいとしみじみ思った。
移動教室
現在も福島県の放射線の高い地区では、子どもたちは学校でも屋外遊びができないなど、不自由な日常を強いられている。たとえ短期的でも線量の低い地区に移動して、日頃のストレスから解き放つ「保養」の取り組みは重要で、新陳代謝の早い子どもの場合、体内の放射性物質を排出できるという意義もある。チェルノブイリでも定期的に行われた。
福島県伊達市では、小学5、6年生と教員を新潟県に送り、3泊4日の「移動教室」を9校で実施。市が支出した事業費430万円に、国や県の補助はなく、さらに不足分はボランティアや受け入れ先の自治体が負担した。
※関連動画:福島県内:移動教室の取り組みからの報告~復興予算を被災地へ
赤字運営でもがんばる市民放射能測定室「たらちね」
10月22日(月)いわき市北部の川前地区は福島第一原発から30キロ圏内。23日の敬老会の仕事がきて、取材も兼ねて行くことにした。
前日いわき入りし、その足で市議の佐藤和良さんに会い、保養移動教室の話をしたところ、いわきの教育委員会が認めなければという。県からの達しがないと動かないから無理では?とのこと。さもありなんとは思うが、川前地区は小中学校一緒で人数も少ない、何とかならないかな~。
佐藤さんのすすめで小名浜の「市民放射能測定室たらちね」によって内部被曝の測定をしてもらった。ほぼゼロでホッとする。ここでは食料も測定している。たまたまニラの測定後で、部屋にはニラの匂いが充満(笑)。たらちねは赤字経営、なんとか市民のため踏ん張ってほしい。
23日、川前に向かう。
夏井川渓谷の美しさは変わらねど、線量は0.6μSV/h(毎時マイクロシーベルト)。心から景観を楽しめなくなってしまったいわきの景勝地…。会場は川前から5キロ奥の山間部、桶売地区の「川前活性化センター」。すぐそばの桶売小中学校は除染済み。除染済みということは高くても0.23μSVということ。しかし量ってみると空間線量でも0.26μSV、校庭に入った植え込みで0.7μSVもあった。小中あわせて30数名、「移動教室」を実現するにはもってこいの規模なのだが…。
10月25日(木)
高野山真言宗寺族婦人会「東日本ブロック研修会」に「フラガール物語」で呼んでもらう。途中東北自動車道の郡山で工事渋滞、線量は車中で0.4μSVもあった! 下道へおりた堀野内交差点で0.36μSVも。磐梯熱海から磐越道に入って猪苗代辺りは0.13μSVと低い。会場の東山温泉「東鳳」に到着。講談終了後、会食、宿泊までご一緒させてもらう。いつものようにメッセージTシャツの説明をさせてもらったところ、さすがにお寺の奥様方、少しでも力になりたいと、あっというまに30枚完売!
ディナーショウでは岬花江さんが民謡で鍛えたすばらしい歌を聞かせてくれた。岬さん、96年に久之浜町末続に福祉施設「岬学園かもめパン工房」を設立、障がい者のみなさんとパンづくり。いわきに住んでいたころ、心尽くしのおいしいパンを何度か頂いたことがあった。それが、原発事故で…。借金だけが彼女に残ってしまった。それでも好きな歌を歌って頑張る、といつも笑顔の花江さん、心から応援したい。
「昔のことゆったってで何にもなんね」──行政に対して受け身の被災者たち
26日(金)は会津坂下町の千葉町議にお願いし、会津若松市松長団地の大熊町仮設住宅へ急遽訪問。まとめ役の小幡ますみさんが声をかけてくれ、突然の訪問にも関わらず、数人の方が集まってくれた。小幡さんは被災後、バラバラの避難所にいる町民に支援物資情報や役場のお知らせなどを伝える情報誌をひとりで発行し始めた。それがきっかけで「大熊町の明日を考える女性の会」を立ち上げた行動派だ。
まずは自己紹介と、事故からの経過を聞かせてもらって5人目のある男性「昔のことゆったってで何にもなんね、これからのことだっぺ」と名前も言ってくれない(それまで5人の女性は話してくれて事情がよく分かったのだが)。その方の隣の男性も名前もいわずに「役場に家を探して欲しいと言っても動かない、10人家族がバラバラに暮らしているのに」と訴える。
緊急時とはいえ、私は、家は自分が中心となって探すものと思っていたが…。他にも「冨岡や双葉が被曝手帳をつくるのに、大熊町長は『大熊は被曝してないから作らない』と言っている」など役場や町長に対して不満が噴出。それを行政に訴えたのかと聞くと町会議員がここに来ないから…。
きっと事故前まで大熊町は行政サービスが行き届いていたのだろう。町民はその時までは恵まれていたのかもしれない、でも、今は違う。やはり、声は届けなきゃ、届けに行かなきゃ。「私も聞き歩いた皆さんの声を各地に届けてる、みなさん本当の情報を知りたがっています。そうやって連帯して政治を動かしましょう」と私。
大きくうなずく小幡さん。実は小幡さんたち女性の会は声を届けに官邸まで行っている。2011年10月下旬には官邸で直接、細野前原発大臣に会い、さらに今年3月には念押しで「中間貯蔵施設は双葉郡に置き、賠償と一体で進めてほしい」との手紙とファックスで訴えているのだ。
会津の秋は早い。雪がほとんど降らない大熊町。仮設の皆さんにとって難儀する2度目の冬がやってくる。先が見えない吹雪の中をさまようような状況がいつまで続くのか。政府は仮設住宅からの声に真摯に耳を傾けてほしい。