特定非営利活動法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」





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ふくしまツアー参加者募集 <飯舘村からふくしまを考える> (2016.08.29更新)

2月21日、福島のコミュニティー再生事業として、今回は南相馬へ行ってきました。 (2016.03.03更新)

会津自然エネルギー事業ツアー レポート (2015.09.16更新)

2015年9月ふくしまツアーのお知らせ (2015.07.21更新)

韓国の原発の現状を知り、日韓市民の連携で脱原発への道を拓こう 2015.4.17~20 韓国・古里原発視察ツアー報告 (2015.05.15更新)

NPOまつもと子ども留学基金 (2015.03.19更新)


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2012.10.09

相馬市に「こども文庫」。3000冊を収蔵してオープン

 当会が今春開催した絵画と作文の合同展「3.11の、あのね。」の共催団体「NPO法人3.11こども文庫」が福島県相馬市内に『にじ』と命名した文庫を創設しました。9月29日のオープニングセレモニーに参加した西山理事が、相馬市・南相馬市の海浜地区の様子と共にレポートします。

「3.11こども文庫 にじ」 ── 9.29オープニングセレモニー参加レポート

西山秀樹(当会理事)

 当会が今春開催した絵画と作文の合同展「3.11の、あのね。」(於・全労済ホール/スペース・ゼロ)の共催団体「NPO法人3.11こども文庫」が福島県相馬市内に“にじ”と命名した文庫を創設しました。2012年9月29日、そのオープニングセレモニーと記念イベントが開かれました。

震災で傷ついた子供たちに世界中から絵本と画材

bunko1.jpg  日本大震災後、相馬の元学校長の佐藤史生氏と版画家の蟹江杏さんが中心となって「震災で傷ついた子どもたちに絵本と画材を送ろう」というメールからスタートした支援活動の輪が広がり、世界中から1万数千冊の本が届き、この度完成した文庫にはその一部の3000冊が収蔵されているそうです。セレモニーではNPO法人3.11こども文庫代表の蟹江杏さん、佐藤史生氏、子どもたちの代表が文庫創設に尽力、協力された皆さんへの感謝のあいさつで始まりました。

bunko2.jpg  相馬市役所近くの通りに面した「3.11こども文庫“にじ”」は元店舗を改装した広さ6畳+8畳ほどのこぢんまりとしたスペースですが、手作り感にあふれたアットホームな雰囲気が感じられる場でした。当面の営業日は週3日で、窓口には地元のボランティアの方が交代で詰めると聞きました。これからは放課後や休日に子どもたちの交流や憩いの場になっていくことでしょう。
 午後からは相馬駅近く生涯学習会館に場所を移して、女優の新井純さんとシンガーソングライターの天宮弘哲さんを招いて「読み聞かせ&音楽の会」が催されました。『3びきのかわいいオオカミ』『たいせつなこと』『かぼちゃのスープ』などの絵本や詩を卓越した話術と演出で披露し大きな拍手を浴びました。
 今回の文庫開設は第一歩ということですが、やはり活動の成果が形になるというのはとても励みになることだと感じました。3.11こども文庫の活動を支える皆さんに今後のさらなる発展を祈念して会場を後にしました。

復旧にほど遠い、相馬市、南相馬市の海浜地区

 現在相馬に行くのは原発事故のせいでとても不便です。今回は友人のアドバイスにしたがって福島駅で新幹線を降り、駅近くでレンタカーを借りて往復しました。

松川浦漁港

松川浦漁港  相馬に向かう115号線は片道一車線で途中山道のワインディングロードで、遅い車やダンプカーも多いため片道50kmほどの距離で1時間半近くかかりました。オープニングイベント参加のついでといっては語弊がありますが、震災後の相馬の海辺の様子を知りたかったので合間をみて松川浦付近に行ってみました。ガレキは片付いていましたが、津波にやられた家屋や漁港の建物がまだまだ残っており、復旧にはほど遠いように見えました。

小高地区

小高地区  その後思い切って南相馬方面に向かって国道6号を南下していくと、南相馬市の原町区までは道路沿いの店も営業しており車の交通量もまったく普通でしたが、福島第一原発(1F)から20km圏内の小高に入ると風景が一変します。走行車両はほとんど見かけなくなり道路沿いで営業している店もありません。当然ながら生活のにおいが感じられません。小高川を渡ったあたりからは海岸線まで見通せて相当距離があるのですが何もありません。ガレキは片付いていますが、未だに津波で流されて横転した車両が何台か残ったままでした。

福島第一原発への道には封鎖線

封鎖線  高台や山が迫っている地形が多いいわき市の海岸線を震災後何度か訪れました。それとはまた違う被害の状況と光景に驚きました。結局浪江手前の封鎖線のところまで行ってすぐ手前でUターンをして海岸線に向かいましたが、途中で道が半分崩れていたりして、それより先に行くのは無理と判断しました。周りに人気はなく静かで時間が止まっているように感じました。津波で多くの人が亡くなった場所…いろいろな思いにとらわれ、いたたまれなくなって小高を離れました。恐怖に駆られて逃げ帰ったといった方が正しいかもしれません。

依然高い、阿武隈山地の放射能

周辺地図。「南相馬・道の駅」にて

michinoeki-chizu  今回ロシア製のsoeks-01mという安価な線量計を道中携行していました。この機種は多少数値が高めに出るようですが、相馬、南相馬で行ったあたりの数値は0.1μシーベルト台で落ち着いていました。

 事前に聞いていたとおりあまり高くはないようです。ただし115号線の途中の阿武隈山地に入っていくと段々数値が上がります。霊山町石田付近が一番高く、車中で0.8μシーベルトを計測しました。位置的には飯舘村の北、原発事故で放射能が流れたルートにあたります。さらにその先に汚染が広がっているわけです。除染の問題を考えたとき、阿武隈山地の広大な森林を望むと、気が遠くなるような話に思えてなりません。