特定非営利活動法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」


2012.05.11

南相馬市小高地区──「警戒区域解除」の街へ

神田香織

まるで1年前にタイムスリップしたような

 5月11日、原発から20キロ圏内の警戒区域、4月16日から解除となった南相馬市小高区へ入りました。市内は平常通りの日常があるのに、小高区はまるで一年前にタイプスリップしたようでした。商店街は崩れた家々がそのまま、書店の本もそのまま…。そしてだれもいない小高ふれあい広場のスピーカーからは突然「踊ろうよマンボ、私と愉快に、愛してマンボ~」という演歌が聞こえてきてびっくり。駅の自転車置き場には一年以上前の、朝のあわただしさを残したままの自転車がもたれあっていました。小高神社では、石灯籠や鳥居の上部が落ち、それがシートの上に並んでいる。修理のおじさんが「どこからはじめたらいいか…」と呆然としている。地震は相当強かったようで、双葉町の人が「双葉よりひどい」とおじさんに言ったそうです。

 セブンイレブンは泥棒にあらされたまま…。まさに事件現場です。酒盛りでもしたのだろうか、駐車場にはワインやウイスキーの空き瓶が転がっていました。
 3月11日の新聞もそのまま。海の方へ向かうと津波に襲われた直後のような風景。あちこちにひしゃげた車が転がっていました。開拓地の圃場は海水がたまって、そこに鷺が羽をやすませていた。線量は0.3~0.4(マイクロシーベルト/時)ぐらい。海からの風の影響か、それほど高くはありません。一階が津波で破壊された家の方々が写真を撮っていました。「まだ20年しかたってないのに…」と言いながら。
 果たして小高へ戻って来る人がいるのだろうか。もしいたとしても、ここで生活を再建させるのはどれでほど時間がかかるのだろうか…。それまで4号機は無事?
 「小高区」というタイムトンネルをくぐり現実にもどって、帰りも6号線が通れないからまた飯館村を通過していわきへ向かいました。飯館の田んぼは荒れ放題のタンポポ畑。野山の碧がさまざまな色合いを見せている、新緑にはちがいない飯館村の風景でした。

もう故郷には戻れない──楢葉町から避難された方々のお話

 12日午前11時、いわき市中央台の仮設住宅へ。6畳2間に台所、洗面所、佐藤さん宅の仮設住宅に集合してくれました。佐藤さんは元郵便局員。私がいわきに住んでいた頃、仕事で呼んでくれた方です。お仲間もふくめ7人。お赤飯やおにがし、蕗の煮ものなど昼食を準備していてくれていました。美味しくいただきながら世間話?のような雰囲気でお話を聞くことができました。みなさん楢葉町の方で楢葉町民が住む仮設はここでは200戸、他に広野町の人たちの仮設もある。いわき市には双葉郡8町村から2万5千人以上避難していて、仮設住宅は3000戸、いまだに建設中の物もあるほど。

 佐藤さん一家がすむこの木造住宅はちょっとした山小屋風でロフトがついていて寝ることもできます。プレハブの仮設に住む人からは同じ広さでも天井が高いから開放的、木造の方が良かったとの声も。いずれも防音は問題。隣のトイレットペーパーのカラカラ音が聞こえると言う。若い婿さんが同居のばっぱ(姑)に「ばあちゃんは何歳まで生きるんだ」と聞いたとか(笑)
 楢葉の町民数は7800人、うち津波犠牲者は11人。4月に警戒区域解除となったが、戻りますかと聞くと全員「いや~戻れない」と。線量は1.2から2.8ぐらいあるという。たとえ戻っても仕事はないし、病院もないし、買い物も不便で魚もとれないし、野菜や米も不安とくれば、たしかに、戻れと言う方がおかしいというものだ。特に若い人たちはもう戻れない、ときっぱり言っているそうだ。
 当時の様子を昨日のことのように話してくれました。
 3月11日3時36分津波がきて、東電関係者たちは4時半頃には原発が危ないと知る、そして、11日の夜には栃木や茨城ナンバーのバスが東電社員を逃がすために集まり、逃がした。まるで「関東軍」のようだ。住民はどうか。3月12日朝8時に放送された防災無線は「南に逃げなさい」というだけでその理由については一言もなし。訳も分からずとりあえず「2、3日でいいべ」と勝手に決めて、着の身着のまま避難したそうだ。私が「原発事故」と思わなかったのかと聞くと、まったく思いもよらなかったと。これは意外だった、私などはここ20年ぐらい地震の度に心配したものだが…。

 その後の苦労は大変だったそうで、皆さん体育館や親戚を頼ったりと平均5~7回避難所を経て昨年7月にこちらへ入居された。
 避難所にもあたりはずれがあったそうで、食事が良すぎて8キロも太ったという人もいた。揚げ物が多く昼食は丼もの、作ってくれた人に悪いからと残さずいただいた結果だそうだ。また千葉に避難した方は、いわきナンバーの車をみて小さい子たちが逃げ出したとも。この避難から得た教訓としてある方がきっぱりと「常に下着も服もいい物を着ること。お金は多めに持っていること」。なるほど~。

敵を間違えないでほしい

 楢葉町へは許可証がないと入れません。6月には一時帰宅に同行させてもらうことになりました。
 短い時間でしたが、みなさんの実感を聞くことができました。今は笑って話しているが、この仮設住宅に辿り着くまでどれほど涙を流したことか、容易に想像がつきます。愛犬を保健所に送らざるを得なかった方の心境、数年かけて日本中からいい材木を集めて造った屋敷をあきらめきれない無念。
 それでも、いわきの人たちと補償金暮らしの彼らの間には溝ができつつあり、深刻さを増しています、これはいわきのみならず福島県内を覆っている暗雲です。でも決して敵を間違えないでほしい。「政府も東電も事故の責任をとって辞めた人は一人もいない」ことをわすれてはならないのです。